「等級の基準を見直したんですが、いちばん上に該当する人が、今年は一人もいないんです。だったら、その段はいったん外しましょうか。」
人事や育成の制度を設計する立場の方から、こうした相談を受けることがあります。現場の管理職からも、「届かない目標を置くと、部下のやる気が下がるので。」と、目標を手の届く高さに揃える声が上がる。心当たりのある方は、少なくないのではないでしょうか。
制度の基準は現場の実態に合わせて何度も調整し、目標は達成可能な水準に置き、評価の納得感にも配慮してきた。それなのに、年度が替わっても、人の動き方は去年と同じです。修了した人は修了で止まり、上の等級に手を伸ばす人が出てこない。そうなると、話はつい「本人の意欲の問題」か「もっと細かく基準を刻もう」のどちらかに流れていきます。
結論を先に言うと、認定や等級の段は、今年の実態に合わせて削るものではなく、来年の行動を今年からつくる道しるべとして、該当者がゼロでも置くものではないか。私たちは、そう考えています。
制度には、今年の成績表という顔と、来年の行動の起点という顔の2つがあります。 実態に合わせて段を削ると、前者は整いますが、後者まで失われることがあります。
この記事では、人材育成の制度を「成績表」と「道しるべ」という2つの役割から考えます。そのうえで、該当者がゼロの段を置くときの3つの条件、判定を2段階に分ける方法、上司が部下に「届く目標」を置いてしまう理由、そしてこの話がこれからの職場でなぜ重要になるのかを整理します。制度を厳しくする話ではなく、次の目標設定の面談で、一つ上の段を空けておく話です。
1. 該当者のいない段を削ると、何が起こるのか
制度を実態に合わせること自体は、間違っていません。誰も届かない基準が並んでいる制度は、現場から「絵に描いた餅」と呼ばれ、運用されなくなることがあります。該当者の有無を確かめ、判定に無理のない基準へ直す。これは、制度を生かすために必要な作業です。
ただ、実態に合わせるだけでは残る問題があります。制度には、今年の成績を付けるという役割のほかに、「この先に何があるか」を見せるという役割があるからです。該当者がゼロの段を外すと、制度は今年の成績表としては正確になります。一方で、修了した人が次に目指す先は、制度の中から消えてしまいます。
- 成績表としての制度: 今年、誰がどの段にいるかを正確に示す。該当者がいる段を中心に、現在の状態を把握する
- 道しるべとしての制度: 来年、人がどこへ向かうかを示す。該当者がゼロの段にも、次の目標としての意味がある
制度の段を削るとき、一緒に削れているのは「今年の無理」ではなく、「来年の目標」かもしれません。
もちろん、制度の運用に手が回らず、判定の工数を減らすために段を絞らざるを得ない職場もあります。その場合は、まず運用の負担を軽くするほうが先です。ただ、工数に余裕があっても「該当者がいないから」という理由だけで段を外しているなら、その制度は少しずつ成績表に寄っていきます。
では、制度の2つの役割は、どう区別して設計すればよいのでしょうか。
2. 制度には「成績表」と「道しるべ」の2つの役割がある
私たちは、インナーブランディングや、現場の声をボトムアップで集めて制度の要件を定義するワークショップを進める中で、認定・等級・表彰といった仕組みを、実務上の目安として2つの役割に分けて見ています。学術的な分類ではなく、実務のなかで整理したフレームワークです。
- 今年の成績表: いまの位置を正確に示す。判定の公平さと、基準の明確さが要る
- 来年の行動の起点: 次に向かう先を示す。いまは誰もいない段も、来年に向けた目標になり得る

このフレームは、「制度のどの部分が、人の来年の行動をつくっているか」を見るためのものです。すべての制度設計の問題を説明できるわけではありません。たとえば、報酬との連動や、法令で定められた要件は別の論点なので、ここでは扱いません。また、成績表の役割が不要だと言いたいわけでもありません。公平な判定がなければ、道しるべも信用されないからです。
ここでいう「道しるべ」とは、理想を高く掲げて現場に発破をかけることではありません。いま自分がどこにいるかを示すだけでなく、「この先に何があるか」を見せることで、次の行動を考えるきっかけをつくる。 そうした設計の話です。最上位の段がなければ、修了した人は次に何を目指せばよいか、わかりにくくなることがあります。一方、最上位が見えていれば、修了した人が次の一年で「周囲に広げる」という行動を考えるきっかけになります。空の段は、来年に向けて目指す先になります。
たとえば、こんな場面を思い浮かべてみてください。ある人が、今年の基準を満たして「認定」に届いた。そのとき、その上に「推進」という段があるかどうかで、翌月の行動は変わるかもしれません。段があれば、「推進の要件は、他部門への広がりだったな」と、自分の仕事の外側に目が向く。段がなければ、「認定は取った。あとは来年また同じことを」で止まる可能性もあります。本人の意欲だけでなく、見えている先の違いも、行動を考えるうえで重要なのではないでしょうか。
3. あえて「誰もいない段」を残した理由
このことを私が考えたのは、ある人材育成プログラムの認定制度を設計していたときでした。修了の先に、どんな段を置くか。チームで検討した結果、実態としては受けた人の自走がまだ弱く、判定の工数もかかるので、「今年は修了と認定の2段にしましょう。」という案が、いったん私の手元に上がってきました。
そのとき私が口にしたのは、「誰もいなくても、来年は推進を目指してほしいということで、修了、認定、推進と分けたらいいのでは?」という一言でした。今年、推進に該当する人はおそらく出ない。それでも、推進という段が見えているかどうかで、修了した人の次の一年が変わる。そう考えて、3段にしました。あわせて、「修了に満たない人も出てくる」ことも前提に置きました。落とさないための設計ではなく、ごまかさないための設計にしたかったからです。
もちろん、これは私が一つのプログラムの設計のなかで下した判断であり、この経験だけから一般的な因果関係を示せるものではありません。ただ、「該当者がいない段を置くべきか」という問いを考えるうえで、一つの示唆があるように感じています。
実態に合わせて段を削るのは、制度を運用するための準備であって、制度の設計そのものではありません。 設計とは、来年の人がどこへ向かうかを決めることです。準備の段階で「今年は誰もいない」という事実を見て段を外すと、設計の仕事を、準備の都合で済ませたことになります。
これは、2段を提案した側の見立てが甘いという話ではありません。むしろ、なぜ実務の担当者は段を削る方向に寄せざるを得ないのかを考えたほうが、説明がつきます。該当者のいない段は、判定の基準を作っても使われず、説明の手間だけが残る。制度の説明会で「この段は今年は誰もいません。」と言えば、「では何のために?」と聞かれる。削るほうが、今年の仕事としては合理的です。だからこそ、削らない判断は、設計する側が意識して持たないと残りにくくなります。
では、該当者がゼロの段を置くとき、何に気をつければよいのでしょうか。
4. 該当者ゼロの段を置くための3つの条件
該当者のいない段を置くことには、副作用もあります。「どうせ誰も届かない」と受け取られれば、道しるべどころか、制度全体への不信につながります。私たちが空の段を置くときに守っている条件は、3つです。
- 下限は固定する: 修了の要件は、期の途中で動かさない。約束として守る
- 空であることを正直に言う: 「この段は今年、該当者がゼロでもよい」と、本人たちにも最初に伝える
- 上乗せにしか使わない: 空の段は、修了を難しくするためではなく、修了の先を見せるためだけに置く

3つのうち、特に重要なのは2つ目です。空の段は、隠して置くと「届かない基準」になり、正直に置くと「来年の目標」になります。 同じ段でも、伝え方で意味が変わります。「今年は誰も届かなくていい。ただ、来年ここに立つ人を、今年の中から出したい」と言われた人と、何も言われずに「推進:該当者なし」という表を見せられた人とでは、受け止め方が変わる可能性があります。
たとえば、制度の説明の場では、こんな言い方になります。
「修了の要件は、ここに書いてあるとおりです。これは動かさない、と約束します。その上に、認定と推進の段を置いています。推進は、今年は該当者がいなくて構いません。来年、推進に立っている人を、この中から出したいと思って置いています。」
こうした説明を添えることで、空の段を単なる「届かない基準」ではなく、来年の目標として受け取ってもらいやすくなります。
では、段を置いたあと、誰がどの段にいるかは、どう判定すればよいのでしょうか。
5. 判定は「行動量」と「中身」の2段階に分ける
空の段を置くと、次に出てくるのが「どうやって判定するのか」という問題です。基準を細かく書き込むほど、判定のための作業が増え、制度を回すこと自体が目的になっていきます。
私たちが同じ設計のなかで決めたのは、判定を2段階に分け、混ぜないことでした。
- 修了=機械で数えられるもの: 出席した・アンケートに答えた、という行動量で判定する
- 認定・推進=人が聞いて判断するもの: 最終の発表で、何を語れるかを判定の材料にする
この分け方のよいところは、上位の要件を「評価票を増やす」のではなく、「発表の型に項目を足す」ことで担保できる点です。たとえば推進の要件を「他部門や他の組織への影響を語れること」とするなら、評価の項目を増やすのではなく、最終発表の構成に「他部門への広がり」という項目を一つ足す。評価のための作業を増やさず、発表の設計で判定の材料を揃える。これなら、判定する側の負担を抑えながら運用しやすくなります。

ただし、この方法にも限界があります。発表の場で語れることと、現場で実際に起きていることは、必ずしも一致しないものです。そこは、上司や周囲の観察で補う必要があります。また、ここで扱っているのは育成のための認定制度であり、報酬や昇格に直結する人事評価をそのまま同じ方法で設計できる、と言いたいわけではありません。
では、制度の設計者ではなく、日々部下と向き合う上司の立場では、この話はどう見えるのでしょうか。
6. 上司が「届く目標」を置きたくなる理由
制度の段は一つでも、立場によって見えている段は違います。
- 本人: いま自分がいる段と、その一つ上までが見えやすい。それより上は、言われなければ視界に入りにくい
- 上司: 部下の今年の達成率が見える。未達を抱えたくないため、目標は届く高さに置きたくなることがある
- 設計者: 全体の分布が見える。該当者ゼロの段を「無駄な段」として削りたくなることがある
ここで言いたいのは、上司が部下に届く目標を置くのが悪い、という話ではありません。むしろ、なぜ上司は届く目標を置かざるを得ないのかを考えたほうが、説明がつきます。上司自身が、部下の目標達成率によって評価される場合もあるからです。未達の目標を抱えれば、期末に説明が要る。期初に「今年は届かなくていい目標」を置くことは、上司にとって自分の成績表に傷をつける行為に見えることがあります。
だから、届く目標しか置かれない職場は、上司の意欲だけでなく、上司自身の評価の仕組みにも目を向ける必要があります。 上司にも「今年は該当者ゼロでよい段」が許されていなければ、部下にその段を見せることは難しくなります。
ただ、制度が変わるのを待たなくても、上司が面談でできることはあります。目標設定の面談で、達成を約束する目標とは別に、「今年は届かなくていい、一つ上の段」を一緒に言葉にしておくことです。達成率の対象にはしない。ただ、本人の視界には入れておく。
たとえば、次のような聞き方です。
「今年の目標はここまで。これは一緒に達成しよう。それとは別に、来年の今ごろに『ここまで行っていたら面白い』という一つ上を、今のうちに決めておかない?」
では、この話は、これからの職場でどんな意味を持つのでしょうか。
7. AI時代に、来年の役割をどう残すか
ここまでの話は、認定や等級だけでなく、組織の役割の設計にも同じ形で現れるのではないかと考えています。
AIが定型業務の一部を担うようになると、組織の中で求められる役割も変わっていきます。その際、「いまいる人にできること」を基準に役割を考えるのは、現実的な判断の一つです。ただ、役割を「今いる人」だけで決めると、誰もまだ担えていない一つ上の役割が、組織図から消えてしまうことがあります。 目指す役割が見えなければ、そこに向かおうとする人も出にくくなります。その結果、来年もその役割を担う人が現れず、「うちにはそういう人材がいない」という話につながる可能性があります。

制度の空の段と同じで、組織の役割にも、該当者がゼロのまま置いておく一段が要るのではないか。たとえば、「AIで浮いた時間を使って、他部門の業務の組み替えまで提案する人」という役割を、今は誰もいなくても組織図に置いておく。置いてあれば、修了した人や、今年の目標を達成した人が、次にそこを目指せます。置いていなければ、達成した時点で、次の一年の行き先が見えにくくなります。
ただし、これは数字で確かめられた結論ではなく、私たちが実務のなかで持っている見立てです。それでも、求められる役割が変化していく時代ほど、「今いる人に合わせる」だけでは、来年の人が育つ先を十分に示せなくなるのではないか。私たちは、そう考えています。この話は、以前に書いた「優秀なのに辞めない人は、何が違うのか」とも地続きです(記事末尾の関連記事①)。
どの段を空けておくか、誰にどこまで正直に言うか、上司の成績表に空の段を許すか。これらは個人の心がけだけでなく、その会社が「目標」をどう扱う組織か、という見えないOS、つまり文化の問題です。
8. まとめ|今年の該当者で、来年の段を決めない
認定や等級の制度で、該当者のいない段を外したくなるとき、消えているのは「今年の無理」だけではないのかもしれません。制度には、今年の成績表という役割と、来年の行動の起点という役割があります。実態に合わせて段を削ると、前者は整いますが、後者まで失われることがあります。だからこそ、該当者がゼロでも最上位の段を置くことを検討し、空であることを正直に伝え、下限は固定して約束を守る。私たちは、そう考えています。
一度、自分の職場の制度と、直近の目標設定の面談を思い浮かべてみてください。
- ・制度の中に、今年は該当者がゼロのまま置いてある段が、一つでもあるか
- ・その段が空であることを、本人たちに正直に伝えているか
- ・修了の下限は、期の途中で動かしていないか
- ・判定のために、評価の項目ばかりを増やしていないか
- ・上司自身に、「今年は届かなくていい一つ上」を持つことが許されているか
まずは次の目標設定の面談で、一問だけ聞いてみてください。
「今年の目標とは別に、届かなくていいから、その一つ上に置くとしたら何?」
本人の答えがすぐに出なくても構いません。答えが出なかったときは、本人にとって次に目指す姿がまだ具体的になっていない可能性があります。その場合は、上司も一緒に考えるところから始められます。
人材育成で問うべきなのは、「今年、誰がどこまで届いたか」だけではないのかもしれません。自分たちの制度の中に、来年の人が埋めるために空けてある段は、いくつ残っているでしょうか。
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一人ひとりが、一つ上の段を目指せる組織へ
今日から始められるのは、次の目標設定の面談で、届く目標とは別に「届かなくていい一つ上」を一緒に言葉にしておくことです。チームであれば、「今年は該当者ゼロでよい段」を一つ決め、空であることを全員に正直に伝える。そうすることで、来年に向けて目指す先を示すことができます。
ただし、これを一人の上司の工夫で終わらせず、組織全体で「空の段を置いてよい」が当たり前になるには、上司の評価の仕方、制度の説明の順番、達成率だけで人を見ない空気まで、見直す必要があります。そこは個人の心がけを超えた、組織の見えないOS=文化の領域です。
Bulldozerは、その見えないOSを、その会社らしさの本質から再設計するカルチャーエンジニアリングに取り組んでいます。現場を巻き込んで制度や職場の要件を定義するワークショップでも、「今年の成績表」と「来年の道しるべ」を分けて設計しています。
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