「指示したことは、ちゃんとやろうとしてくれるんです。でも、定例の処理でミスが減らなくて。」
メンバーの育成を担う管理職の方から、こうした言葉を聞くことがあります。本人は真面目で、手を抜いているようには見えない。それなのに、毎月の処理や決まった手順の仕事になると、どうしても抜けが出る。そして本人も「なんで自分はこんなこともできないんだろう」と、少しずつ自信を失っていく。似た場面に心当たりのある方は、少なくないのではないでしょうか。
もちろん、上司も何もしていないわけではありません。ミスがあれば一緒に振り返るし、必要なら手順書やチェックリストもつくる。「次はここを気をつけよう」と1on1で話すこともある。それでも翌月、また同じところで止まってしまう。
教える側も、だんだん困ってきます。最初は「説明の仕方が悪かったかな」と思う。でも、2回、3回と同じことが続くと、「ここまで伝えても難しいなら、本人の問題なのかもしれない」と考え始める。そうしていつの間にか、「この仕事がうまくいかない」という話が、「この人は仕事ができない」という評価に変わっていきます。
では、本人も周りも努力しているのに、この「できない」はどこから生まれるのでしょうか。
この記事では、「できない」という評価を、能力の問題と配置の問題という2つの見方に分けて考えます。そのうえで、人の能力は仕事の種類によって発現の仕方が変わるという仕組み、「できない」という言葉が指す2つの意味、上司が能力の問題にせざるを得ない事情、次の1on1から試せる3つの問いと、変化を確かめる物差しまで整理します。本人を甘やかす話でも、定常的な仕事を軽く見る話でもなく、人と仕事の組み合わせを一度だけ疑ってみる、という話です。
足りないのは本人の能力ではなく、その能力が発現する「配置」ではないか。 私たちは、そう考えています。
1. なぜ「できない」は、教えても直らないのか
教えること自体は、間違っていません。手順を言葉にし、チェックリストを渡し、つまずいた箇所を一緒に振り返る。基礎を身につける段階では、これ以上に確かな打ち手はありませんし、実際にそれで伸びていく人も大勢います。
ただ、教えるだけで解決しようとすると、残る問題があります。同じ箇所を3回教えて、3回とも同じところで止まるとき、4回目の説明は、本人にとって「また自分はできなかった」という記録を1つ増やす時間になります。周りの見方も「あの人は、ああいうところが弱い」として少しずつ固まっていく。つまり、教える回数が増えるほど、本人の自信と周囲の期待が同時に削れていく状態が生まれます。
これは、本人の集中力が足りない、という話ではありません。むしろ、なぜその人は、努力しているのに同じところで止まらざるを得ないのかを考えたほうが、説明がつくように思います。
決まった手順を正確に繰り返す仕事と、決まっていないものを形にする仕事とでは、人に求められる回路がそもそも違う。その違いを見ずに「仕事ができる・できない」という一本の物差しで測ると、ある種の人は、どれだけ努力しても低く見えてしまうのではないでしょうか。
「できない」は、能力の低さの証拠ではなく、人と仕事の組み合わせが合っていない信号でもあります。
では、この組み合わせは、どのように見えてくるのでしょうか。その前に、私自身がこのことに気づいた場面を、材料として置かせてください。
2. 「できない仕事」と「なぜか走れる仕事」があった
この「できない=能力不足」という見方に、私自身も長く引っ張られていました。
定常的なオペレーション中心の仕事では、なかなか手が動きませんでした。決まった手順を正確に繰り返す仕事の中で、「なんで私はこんなこともできないんだろう」と感じる場面が何度もあったのです。周りの人が淡々と片づけていくことが、自分には重く、遅く、抜けが出る。能力の問題だと、自分でも思っていました。
ところが、ほぼ同じ時期に、複雑な業務変革の設計や、複数の立場の人が参加するワークショップの組み立て、新しい提案づくりには、ものすごい速度で入っていけました。誰かに言われなくても手が動き、関係者を巻き込み、形になるまで止まらない。同じ人間なのに、仕事の種類が変わっただけで、まるで別の人のように動けたのです。
そのとき、ようやく言葉になったのが、次の一言でした。
「私はオペレーターじゃなくて、コミュニティを醸成したり、場を設計したり、新しいものを生み出す側」
このとき見えてきたのは、能力が低かったというより、能力が発現しない場所に自分を置いていた可能性がある、ということです。もちろん、定常的な仕事が軽いという意味ではありません。組織を毎日支えているのは、決まった手順を正確に回し続ける仕事であり、それを高い精度でやり切る人の力は、私にはないものです。だからこそ、どちらが上ではなく、発現する場所が違う、という見方が必要なのだと思いました。
もちろん、これは私の身の回りで見た出来事であり、この観察だけから一般的な因果関係を示せるものではありません。ただ、職場で「できない」と評価されている人を考えるうえで、一つの示唆があるように感じています。ここから先は、その観察をきっかけにしたBulldozerとしての見立てです。
では、能力の発現は、なぜ仕事の種類で変わるのでしょうか。
3. 「能力不足」に見えて、実は「配置」の問題かもしれない
人の能力は、固定の総量として一人ひとりに備わっているというより、仕事の種類との組み合わせで発現すると、私たちは考えています。実務のなかで見てきた範囲では、仕事は大きく2種類に分かれます。これは学術的な分類ではなく、私たちが実務のなかで整理したフレームワークです。
- 決まった手順を回す仕事:手順が定義されていて、正確さと反復が価値になる。月次の処理、定例の報告、ルールどおりの対応
- 決まっていないものを形にする仕事:正解がなく、関係者を巻き込みながら、企画や場や提案を形にすることが価値になる。業務の見直し、新しい取り組みの設計、立場の違う人が集まる場の運営

たとえば、同じチームの中でも、月次の処理を一度も止めずに回す人と、新しい取り組みの会議になると急に場を動かし始める人がいます。前者は「安定している」と評価され、後者は「ムラがある」と評価されやすい。ただ、2種類の仕事を分けて見ると、どちらも自分の能力が発現する場所で力を出しているだけで、優劣の話ではないことがわかります。
このフレームが見るためにあるのは、「努力しているのに、ある種類の仕事でだけ止まる人」の正体です。どちらの仕事にも向いている人はいますし、どちらも苦手だという時期も、人にはあります。ただ、片方の仕事では止まり、もう片方では周りより速く動く人を、一本の物差しで「できない」と評価してしまう場面を、私たちは繰り返し見てきました。
一方で、このフレームで扱っていない原因もあります。そもそも基礎的なスキルがまだ身についていない段階、体調や家庭の事情で一時的に動けない時期、人間関係のこじれ、業務量そのものが多すぎる状態。これらはこの分類の外にあり、配置を変えても解決しません。
見分けるための目安は後の章で触れますが、まずは「止まる仕事と走る仕事に、種類の違いはあるか」を見るところから始めるのがよいと考えています。
能力の発揮は、人だけで決まるのではなく、人と仕事の組み合わせによって変わります。
では、この見方を持つと、「できない」という言葉はどう読み替えられるのでしょうか。
4. 同じ「できない」でも、意味は2つある
上司が口にする「できない」には、2つの意味が混ざっています。1つは、この仕事、この担当、この配置ではできない、という意味。もう1つは、どこに置いてもできない、という意味です。
私たちが実務で見てきたなかでは、前者として捉え直せるケースも少なくありません。しかし評価の場では、いつの間にか後者の意味で扱われてしまうことがあります。
たとえば、こんな会話です。
「Aさん、月次の処理でまたミスがあったんですよ。何回も説明しているのに」
「そうなんだ。でも先月の新しい取り組みの会議、場を一番動かしていたのはAさんだったよね」
「それはそうなんですけど、基本ができていないと」
ここで最初の上司は、この仕事での「できない」を話しているのに、結論は「基本ができていない人」という、どこでもできないという評価に着地しています。走った場面は、評価の外に置かれたままです。

ここでいう「配置」とは、異動や部署替えだけを指すのではありません。同じ部署、同じ役職のままでも、誰がどの種類の仕事を担うか、役割をどこで切るか、新しい取り組みに誰を入れるか、という単位で配置は変わります。
配置を疑うことは、人を動かすことではなく、まず仕事の切り方や任せ方を疑うこと。 そう言い換えてもよいかもしれません。
「できない」は、人に付く言葉ではなく、人と仕事の組み合わせに付く言葉です。
では、それがわかっていても、なぜ上司は能力の問題として片づけてしまうのでしょうか。
5. なぜ組織は「配置」ではなく「人」を評価してしまうのか
上司の見方が狭いから、という話ではありません。むしろ、なぜ上司は「できない」を人の問題にせざるを得ないのかを考えると、組織の側に3つの事情が見えてきます。
1つ目は、評価の単位です。多くの評価制度は、人に点をつける設計になっていて、配置に点はつきません。半期の評価面談で「この人は、この配置が合っていなかった」と書く欄は、たいていありません。だから上司は、目の前の結果を人の能力として記録せざるを得ないのではないでしょうか。
2つ目は、配置を変えるコストです。担当を変えるには、他のメンバーとの調整、引き継ぎ、上への説明が必要になります。一方で、本人をもう一度教えることは、上司一人の判断で今日から始められます。手間の少ない打ち手が選ばれるのは、責める話ではなく、自然なことのように思います。
3つ目は、見える機会の差です。決まった手順の仕事は毎週あり、失敗はその都度、目に入ります。ところが、決まっていないものを形にする仕事は、機会そのものが年に数回しかないことも珍しくありません。走った場面を見る機会が少ないまま、止まった場面だけが積み上がる。この観測の偏りが、「できない人」という像を組織の中で固めていきます。
上司が人の問題として捉えてしまう背景には、そう捉えやすい組織の仕組みがあります。
※人を頑張らせる前に配置を設計する、という考え方の背景は、記事末尾の関連記事①もご参考ください。
では、この偏りの中で、配置を疑うには何を見ればよいのでしょうか。
6. 「能力」か「配置」かを見分ける3つの問い
「配置が合っていないかもしれない」と感じても、すぐに「この仕事に向いていない」と結論づける必要はありません。教え方やフォローを変えることで乗り越えられるのか。仕事の渡し方や役割の切り方を変えれば力を発揮できるのか。それとも、別の種類の仕事でより自然に力を発揮するのか。本人だけでなく、任せる側の設計も含めて見ていく必要があります。
そこで私たちは、実務のなかで、次の3つの問いを順番に当てるようにしています。これも実務から整理した見立てであり、すべての場面に当てはまるものではありません。
- 走った場面: この半年で、その人が自然と力を発揮していた場面はあったか。それはどんな種類の仕事だったか。
- 止まった場面: 何度やっても苦戦している場面には、どんな共通点があるか。決まった手順の反復か、決まっていないものを形にする仕事か。
- 違いを探る: その苦戦は、フォローや任せ方を変えることで乗り越えられそうか。それとも、別の仕事のほうが力を発揮しやすそうか。

走った場面が1つも思い浮かばないなら、第3章で触れた「このフレームの外にある原因」を先に疑ったほうがよい、というのが一つの目安です。反対に、走った場面と止まった場面に種類の違いがはっきりあるなら、それは配置や任せ方を見直す信号として扱う価値があります。
ここで大切なのは、3つ目の問いを「この仕事に向いているか、向いていないか」という判定に使わないことです。フォローの仕方を変えればできるのか。仕事の渡し方や役割の切り方を変えれば力を発揮できるのか。それとも、別の種類の仕事でより自然に力を発揮するのか。本人だけを評価するのではなく、育て方・任せ方・配置のそれぞれに見直せる余地がないかを考えるための問いです。
実際には、1on1でこう聞いてみることから始められます。
「最近、時間を忘れて取り組めた仕事はあった?」
「……先月の、新しい取り組みの準備をしていたときは、気づいたら夜でした」
「月次の処理のときは?」
「あれは、始める前から気が重くて」
この短いやり取りだけでも、走った場面と止まった場面の種類の違いが、本人の言葉から見えてきます。もし本人からも「ない」と返ってきたら、それはそれで、仕事の切り方や任せ方を見直す材料になります。
物差しも、1本足したいところです。これまで部下育成の進み具合は、「教えた回数」や「ミスの減り方」で測られてきました。それを手放す必要はありません。ただ、そこに「本人が力を発揮できた場面」を足してみてください。
半年で一度もそうした場面がなかったとしたら、直すべきなのは本人の努力だけではないかもしれません。フォローの仕方なのか、仕事の任せ方なのか、それとも配置なのか。「本人に何が足りないか」だけでなく、「どうすればこの人の力が発揮されるか」を見る。 それが、この3つの問いで確かめたいことです。
まずは次の1on1で、「最近、時間を忘れて取り組めた仕事はあった?」と一問だけ聞いてみてください。
では、この見方は、これからの職場でどんな意味を持つのでしょうか。
7. AI時代に、あらためて「配置」を考える理由
この話が私にとって大きかったのは、個人の向き不向きの話にとどまらなかったからです。AIの活用が広がるなかで、私たちは「人がどの仕事を担うのか」を、これまで以上に考える必要があると感じています。
定例の集計、報告の下書き、ルールに沿った一次対応など、これまで人が担ってきた仕事のなかにも、AIに任せられる部分が増えています。一方で、業務の見直し、新しい取り組みの立ち上げ、立場の違う人が集まる場の設計など、正解が決まっていない仕事では、誰がどのように力を発揮するかが引き続き重要です。
だからこそ、AIを「人の仕事を置き換えるもの」としてだけ見るのではなく、AIに何を任せ、人にはどんな仕事を任せるのかを考え直す機会として捉えることもできるのではないでしょうか。そのとき、一人ひとりがどんな仕事で力を発揮するのかを見極め、仕事の任せ方を設計することの重要性も増していくと、私たちは考えています。

そう考えると、「できない」と評価されている人を、能力の問題だけで片づけることは、組織にとって見えない損失になり得ます。
配置は、組織の中では意識されにくい前提、いわば見えないOSの一部です。誰がどこで価値を出すかという前提を、いまのうちに一度疑っておく。「この人に何が足りないか」だけでなく、「この人の力は、どこで発揮されるのか」を考える。 それが、AIの活用が進む時代に、あらためて配置を考える理由だと私たちは考えています。
※AIを入れる前に、組織の情報の流れと役割を設計する話は、記事末尾の関連記事②で扱っています。
では、最後に、ここまでの話をまとめます。
8. まとめ:能力の前に、配置を疑う
メンバーに「できない」と感じる場面が続くとき、足りないのは本人の能力だけではないのかもしれません。能力は、人に固定で備わっているものではなく、人と仕事の組み合わせに現れます。
ただ、評価の単位も、配置を変えるコストも、見える機会の差も、上司に「人の問題」として扱わせる方向に働いています。だからこそ、教える回数を増やす前に、走った場面・止まった場面・その違いという3つの視点から、フォローや任せ方、配置を一度見直してみる価値があります。
一度、あなたのチームで「できない」と評価されている人を、一人だけ思い浮かべてみてください。
- ・この半年で、その人が自然と力を発揮していた場面はあったか
- ・何度やっても苦戦している場面には、どんな共通点があるか
- ・その苦戦は、フォローや任せ方を変えることで乗り越えられそうか。それとも、別の仕事のほうが力を発揮しやすそうか
- ・自分のチームの評価の場に、「配置が合っていなかった」と言える余地はあるか
まずは次の1on1で、一問だけ聞いてみてください。「最近、時間を忘れて取り組めた仕事はあった?」。答えが返ってきたら、それがその人の能力が発現する場所を知る、最初の手がかりです。
「できない」と感じたとき、本当に問うべきなのは「どうすればこの人に基本を身につけさせられるか」だけではないのかもしれません。
あなたのチームで「できない」と評価されている人は、能力を測られているのでしょうか。それとも、いまの配置への適合度を測られているのでしょうか。
関連記事
①なぜ頑張らせても組織は動かないのか──”入力思考”を捨て、”配置”を設計する」
②AIファースト|AIを導入しても、なぜ仕事のやり方が変わらないのか ─AIの前に要る「組織の設計図」
③部下育成|同じ忙しさでも「伸びる人」と「消耗する人」は何が違う? ─分かれ目は「苦しさの種類」
Podcast
Podcast「天上天下主客反転、ブルドーザーの企業解体新書!」では、組織のリアルな課題を毎週解体しています。
一人ひとりが、能力の発現する場所で働ける組織へ
今日から始められるのは、次の1on1で「最近、時間を忘れて取り組めた仕事はあった?」と一問だけ聞いてみることです。チームであれば、半期の振り返りに「力を発揮していた場面」を一つ書く欄を足すだけでも、止まった場面だけが積み上がる観測の偏りを少し戻せます。
ただし、「できない」を人だけの問題として扱わないことを組織の当たり前にするには、個人へのフォローだけでは十分ではありません。仕事をどう任せるか、役割をどこで切るか、新しい取り組みに誰を入れるか。そして、それを評価の中でどう扱うか。個人では変えにくい層まで見直す必要があります。
本人を変えることだけに目を向けるのではなく、その人の力が発揮される仕事の任せ方や配置まで設計する。 そこが、組織の見えないOSを再設計する「カルチャーエンジニアリング」の領域だと、私たちは考えています。
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