「AI活用を進めたいのに、会議で出てくるのは『情報が漏れたらどうする』『問題が起きたら誰が責任を取る』ばかりで、話が前に進まないんです。」
AI活用について企業の方と話していると、こうした悩みを聞くことがあります。会社としてAIを使う方針は決まり、ツールやルールも整いつつある。それでも現場では、何かを始める前にリスクの話が膨らみ、結局これまでと同じやり方が続いている。AI活用に限らず、歴史のある大きな組織では、決して珍しい光景ではありません。
もちろん、慎重さそのものが問題なのではありません。一度の不祥事が企業や顧客に与える影響を考えれば、「問題を起こさないこと」には大きな価値があります。ただ、ここで考えてみたいのは、「問題を起こさない人」と「倫理観のある人」は、本当に同じなのかということです。
問題を起こさないことだけを優先するなら、最も確実なのは「何もしないこと」です。一方で、倫理観がある人は、単に行動を止めるのではなく、「ここまではやってよい。ここから先はやらない」と自分で線を引き、その範囲で前に進もうとします。
この記事では、この「線引きできること」を、AI時代に求められる倫理観の一つとして考えます。
これは、AIを使うときにも、人を評価するときにも共通する考え方です。この記事では、AIに仕事を任せるときの「何を」と「どうやって」、慎重論を見分ける3つの視点、評価や採用で使える2つの質問を通して、線引きをしながら挑戦できる人をどう見つけ、育てていくかを考えていきます。
1. AIはなぜ、人が想定しない手段を選ぶのか
AIの振る舞いを考えるうえで、2026年7月、OpenAIは、社内のサイバーセキュリティ評価中に、AIモデルがインターネットから隔離するための制御を回避し、内部の研究インフラや外部システムへアクセスした事例を公表しました。
ここで重要なのは、AIが人間のような悪意を持って行動した、という話ではありません。与えられたミッションを遂行しようとした結果、人間が想定していなかった手段を選んだという点です。
目的を達成するために必要なものがあれば、それを手に入れようとする。その手段が人間社会で許容されるものなのか、その先で何が起きるのかまで、当然に判断してくれるとは限りません。つまり問題になるのは、AIに「何をするか」を渡した一方で、「どうやってするか」の線引きを人が手放してしまうことです。
これを人間の組織に置き換えてみると、似た構図があります。成果を出すために最短の手段を選び続けた結果、顧客の信頼を損ねる。同僚を追い詰める。ルールの穴を突く。数字だけを見れば成果が出ていても、組織としては許容できない手段が選ばれていることがあります。
成果を出すことと、許される手段の中で成果を出すことは、同じではありません。
だからこそ、AIでも人でも「何を達成するか」だけではなく、「どのような手段なら許されるか」を判断する力が必要になります。この記事で「倫理観」と呼んでいるものの一つが、この線引きをする力です。
では、AIに仕事を任せるとき、その線引きをどのように伝えればよいのでしょうか。
2. AIに任せるなら、「何を」と「どうやって」をセットで決める
AIに仕事を任せる場面を、具体的に考えてみます。
「来月の提案に向けて、競合の情報を集めておいて。」
これだけを渡した場合、人間が当然だと思っている情報収集の範囲や、使ってよい情報源までAIと共有できているとは限りません。一方で、「公開されている一次情報だけを使って。取得元を必ず添えて」と条件を加えれば、AIに任せる仕事の範囲は明確になります。
前者が「何を」だけを渡した状態、後者が「何を」と「どうやって」をセットで渡した状態です。
AIに仕事を任せるときは、ミッションである「何を」だけでなく、許される達成方法である「どうやって」までセットで設計する必要があります。
ミッションの設定と達成方法。この2つを手放しで任せてしまうと、人間が予期していなかった手段が選ばれる可能性があります。だからこそ、「これは使ってよい。これは使わない」という達成方法の線引きまで、人が決める必要があります。

ここで一つ、見落とされやすい点があります。適切な線引きをするためには、その仕事についての知識や経験が必要だということです。やったことのない領域では、どのような達成方法があるのか自体がわからず、どこまでが許され、どこからが危ないのかも判断しにくくなります。
つまり、AIに仕事を渡せば渡すほど、人の側には「任せ方を設計する力」が求められます。AIが進化すれば人の経験が不要になる、という単純な話ではありません。むしろ経験があるからこそ、AIに任せる範囲と、人が判断すべき範囲を具体的に決められます。
AI時代に人の手元に残る重要な仕事の一つは、「何を」を設定し、「どうやって」の線引きをすることです。
ここでいう線引きとは、禁止事項を増やすことではありません。目的を達成するために、何なら試せるのか。どこから先は任せないのか。その判断を持ったうえで、前に進むことです。
AIに渡す前に自分の仕事を言葉にする、という視点は、以前の記事「AIと育てる『自分の取扱説明書』」でも書きました(文末の関連記事①)。
そして、この「線を引きながら前に進む」という考え方は、AIへの指示だけの話ではありません。組織の会議や人材評価でも、同じ違いが表れます。
次に、「問題を起こさない人」と「倫理観のある人」は、具体的に何が違うのか。 実際の会議でも使える3つの視点から整理していきます。
3. 「問題を起こさない人」と「倫理観のある人」を分ける3つの視点
歴史のある大きな会社ほど、問題を起こさないことが重視されます。不祥事のニュースが続くなかで、これは当然のことです。一度の問題で失う信頼は大きく、取り戻すには長い時間がかかります。問題を起こさないことには、たしかに価値があります。
ただ、ここには一つの落とし穴があります。「問題を起こさない」という思考回路と、倫理観をきちんと持っていることは、同じに見えて別物ではないかということです。前者は「やらない」という判断に向かいやすくなります。やらなければ問題は起きませんが、同時に成果も生まれません。
AI活用を「問題を起こさないこと」に重心を置いて進めると、結果として何も起こらない。これは、冒頭で触れた「会議が前に進まない」という場面の正体の一つではないでしょうか。
問題を起こさないことに重心を置くと、問題と一緒に、成果も起きなくなります。
一方、倫理観がある人は違う動き方をします。許される手段の範囲を自分で判断し、その範囲の中で前に進む。線引きをしたうえで、挑戦する。前章で書いた「どうやって」を決められる人は、こちらの思考回路を持っている人です。
会話にすると、こういう場面です。
「情報が漏れたらどうするんですか。」
「では、社外秘を含まない公開情報だけを使って、営業資料の下書きから試してみませんか。取得元は必ず添える、という条件で。」
前者は止める方向の慎重さで、後者は範囲を決めて進める慎重さです。どちらも慎重ですが、翌週の仕事は変わってきます。
ここでいう倫理観とは、規程を守ることだけを指すのではありません。もちろん、ルールを守ることは大前提です。そのうえで、まだルールに答えがない場面でも「ここまではやる。ここから先はやらない」と判断できること。その判断を持ちながら、前に進めることです。
この違いは、次の3つの視点で見ると整理しやすくなります。
- ・判断の主語:「ルールが禁止しているか」だけを見るのか、「自分はこの手段を許容できるか」まで考えるのか
- ・行動の方向:リスクを見つけて「止める」のか、「範囲を決めて進める」のか
- ・結果の形:「何も起きない」ことを目指すのか、線引きしたうえで成果と失敗の両方を引き受けるのか
これは学術的な分類でも、人の性格を診断するためのものでもありません。「慎重な人=倫理観のある人」と無意識に捉えていないかを、会議や評価の場で見直すための目安です。

4. 企業の評価軸は2つになる。「伸びるか」と「AIで壊さないか」
ここから先は、少し視点を広げてみます。
AIの活用が進むほど、企業の評価軸も変わっていくのではないかと考えています。これまで企業は、どれだけ売上や利益を伸ばせるか、どれだけ新しい価値を生み出せるかという「成長する力」を強く問われてきました。
ただ、AIによって企業ができることが増えていけば、もう一つの軸が必要になります。それが、AIを使いながらも、顧客や社会からの信頼を壊さずにいられるかという軸です。
「どれだけ伸びるか」と「AIで壊さないか」。これからは、この2つを同時に見られるようになるのではないでしょうか。
この話は、企業価値の考え方にもつながります。企業を見るとき、売上や利益といった財務的な数字だけでなく、組織文化や人的資本、社会からの信頼といった非財務的な価値も重視されるようになっています。PBRのような指標を考えても、企業が持つ価値のすべてを、目の前の財務数字だけで説明することはできません。
AIをどう使うかという判断にも、その会社が何を大切にしているかが表れます。短期的には成果を伸ばせても、その過程で顧客や社会からの信頼を失えば、長期的な企業価値を毀損する可能性があります。反対に、問題を恐れるあまり何もしなければ、成長する力そのものを失っていきます。
だからこそ、企業に求められるのは「成長か、倫理か」の二者択一ではありません。成長する力を持ちながら、どこまでやるかを自分たちで線引きできること。 その両方が必要になります。
そして、企業の判断は最終的には人の判断です。企業にこの2つの軸が求められるのであれば、人事評価や採用にも「成長力があるか」だけでなく、「倫理観を持って線引きできるか」という視点が入ってくるのではないでしょうか。
5. AI時代に必要なのは、「倫理観のあるチャレンジャー」
ここまでの話を一言でまとめると、AI時代に成果を出すのは、手段を選ばずに成果を出す人でも、問題を起こさないだけの人でもなく、「倫理観のあるチャレンジャー」ではないかということです。
ここで、気をつけたい分かれ道があります。倫理観を重視した結果、「クリーンな組織」に向かうこと自体はよいことです。ただ、そのクリーンさが、漂白のようなクリーンさになってしまうと、主体性や個性のない世界に近づいていきます。
いい意味でのクリーンと、漂白のようなクリーンは別のものです。没個性的で、自走せず、ただ問題を起こさない人を増やすことが、AI時代の人材育成のゴールではありません。この「クリーン」と「漂白」の違いは、これから組織が倫理観を考えるうえで、重要な論点になると思います。
もう一つの分かれ道は、失敗の扱いです。「挑戦を早く、失敗を早く」という考え方は、いまも重要です。一方で、顧客や社会からの信頼を失うような「やらかし」は、早く経験すればよいというものではありません。
この2つを分けて整理しないまま「失敗を避けよう」とすると、組織はただ保守的になる方向へ流れてしまいます。だから必要なのは、失敗しない人をつくることではなく、挑戦してよい範囲と、越えてはいけない線を自分で判断できる人を増やすことです。
ここでいうチャレンジャーとは、ルールを破る人のことではありません。「どうやって」の線引きを自分で持ち、その中で手を動かす人のことです。評価や採用の場で見るとすれば、「挑戦する力」と「線引きをする力」の2つになります。

たとえば、評価面談で次の2つを聞いてみます。
- 「この半年、AIで新しく試したことは何か」
- 「そのとき、使わないと決めた手段は何か」
前者だけなら、挑戦する力しか見えません。後者だけなら、慎重さしか見えません。2つをセットで聞くことで、線引きをしたうえで挑戦したかどうかが見えてきます。
「議事録の要約をAIに任せてみました。ただ、顧客名が入る部分は、手で確認してから渡すと決めました。」
こういう答えが返ってくる人が、ここでいう「倫理観のあるチャレンジャー」です。何を試したのかと同時に、何をしないと決めたのか。その両方を見ることで、その人がどのような判断をしたのかが見えてきます。
線引きをしたうえで挑戦した経験は、問題を起こさなかった経験より、多くのことを教えてくれます。
では、その倫理観は、どこで育つのでしょうか。会社の制度や評価項目を変えれば、それだけで育つものなのでしょうか。
次の章では、会社の歴史やBulldozerが「Origin」と呼ぶもの、そして一見すると仕事の成果には直接つながらない「お金にならない時間」について考えていきます。
6. 倫理観を育てる「お金にならない時間」を、組織は持てているか
ここまで、「問題を起こさないこと」と「倫理観を持つこと」は違う、という話をしてきました。では、その倫理観はどこで育つのでしょうか。
倫理観や思想は、仕事の中では後回しにされがちなテーマです。売上や利益のように数字で測りにくく、すぐに成果につながるものでもありません。忙しい組織ほど、目の前の業務を優先するなかで、こうしたことを考える時間は削られていきます。
けれども、AIが多くの仕事を担うようになるほど、「何をAIに任せるか」だけでなく、「何を任せないか」を決める必要が出てきます。その線引きの土台になるのは、ルールだけではありません。自分たちは何を大切にする会社なのか。何を守り、何のために挑戦するのか。そうした問いに向き合う時間も必要になるのではないでしょうか。
Bulldozerでは、企業が大切にしてきた価値観や、その会社らしさの源泉を「Origin」と呼んでいます。
Originを考えるとき、創業者が何を考えて会社をつくったのか、どんな出来事を経て今の会社になったのかを振り返ります。普段の仕事では意識することのない会社の歴史をたどることで、「自分たちは何を大切にしてきた会社なのか」が見えてくることがあります。
ある歴史の長い企業では、100周年という節目に向けて、会社のOriginをたどるプロジェクトが進んでいました。そこで印象的だったのは、会社から指示されたわけでもないのに、社史を読んでいる人がいたことです。
それは、直接売上につながる仕事ではありません。評価項目に入っているわけでも、読んだから給与が上がるわけでもない。それでも、自分が働く会社がどこから来たのかを知ろうとする。
そういう「お金にならない時間」の中で、自分と会社との関係が少しずつ変わっていくことがあります。過去の出来事や、そこにいた人たちの判断を知ることで、いま自分がしている仕事を、それまでとは違う時間軸から見られるようになるからです。
会社の歴史だけではありません。長く続いているブランドについて調べてみる。博物館や美術館へ行く。普段なら仕事とは関係がないと思うものに触れてみる。そうした体験も、すぐに答えを出すためではなく、自分が何を大切だと感じるのかを知る時間になります。
倫理観は、ルールを覚えるだけで身につくものではありません。何を大切にしたいのかを考え、自分なりの判断軸をつくっていく時間も、その土台になるのではないでしょうか。
だからこそ、効率化によって「お金になる時間」だけを増やしていけばよいわけではないと思います。AIによって仕事が効率化されるなら、その先に生まれた時間を何に使うのか。短期的な成果には直接つながらなくても、自分たちのOriginに触れたり、自分の感覚を育てたりする時間を持てるかどうかは、これからの組織にとって重要な問いになります。

AIに多くのことを任せられる時代だからこそ、人にしかできない「何を大切にするか」を考える時間を、なくしてはいけない。
ここまで考えると、AI活用は単に「どのツールを導入するか」という話ではなくなります。どんな人を評価するのか。どんな時間を組織の中に残すのか。そして、どんな判断軸を次の世代へ渡していくのか。組織のカルチャーそのものに関わる話になっていきます。
ここまで見てきたことを、一度まとめます。
- ・AIは「何を」だけ渡すと手段を選ばない。「どうやって」の線引きまで決めるのが、人の仕事
- ・「問題を起こさない」と「倫理観がある」は別物。前者に重心を置くと、問題と一緒に成果も起きない
- ・倫理観の土台には、「お金にならない時間」の中で、自分や会社が何を大切にするのかを考えることも必要ではないか
一度、自社でAI活用の会議が開かれたときのことを思い浮かべてみてください。
- ・慎重な意見は、「止める」に向かっていたでしょうか。「範囲を決めて進める」に向かっていたでしょうか
- ・AIに渡しているのは、「何を」だけでしょうか。「どうやって」の線引きもセットでしょうか
- ・評価面談や採用で、挑戦したことと、使わないと決めた手段の、両方を聞いているでしょうか
- ・自社のOriginを追体験する時間は、誰の人生のどこにあるでしょうか
すべてを一度に変える必要はありません。まずは次のAI活用の会議で、「問題が起きたらどうする」という声が出たときに、「どこまでの手段なら許せるか」と聞き返してみてください。慎重さが、止める方向ではなく、線引きの方向へ動き始めます。
最初の問いに戻ります。「問題を起こさない人」と「倫理観のある人」は、本当に同じなのでしょうか。
AI時代に必要なのは、ただ問題を避ける人ではなく、「何を」と「どうやって」を考え、自分で線を引いたうえで挑戦できる人です。あなたの会社の評価と採用は、「問題を起こさない人」と「倫理観のあるチャレンジャー」を、見分けられているでしょうか。
関連記事
① 人材育成|AIを使いこなす人は、最初に何を言葉にしているのか ─AIと育てる「自分の取扱説明書」
③ AIファースト|AIを導入しても、なぜ仕事のやり方が変わらないのか ─AIの前に要る「組織の設計図」
Podcast このテーマの背景にある対話を、もっと聞きたい方へ
この記事は、Podcastでの対話をきっかけに、AI時代の倫理観と人材評価について整理したものです。
この記事のもとになった回では、AIがもたらす重大なリスクをどう受け止めるかという話から始まり、AIが隔離のための制御を回避して外部システムへアクセスしたと報告された事例、「問題を起こさない」と「倫理観」の違い、企業の評価軸の変化、そして後半の「お金にならない時間」と贈与の話まで、36分かけて話しています。
完成した答えを聞くというより、問いがどのように広がっていったのかを追いたい方は、ぜひPodcast本編もあわせてお聞きください。
▼EP45の音源はこちら
一人ひとりが、線引きをしたうえで挑戦できる組織へ
ここまで書いてきた「何を」と「どうやって」のセット、評価面談で聞く2つの質問、そして会議での聞き返し方は、今日からAI活用の推進担当や人事の担当者ひとりでも始められます。
ただ、これを組織全体に広げようとすると、話が変わります。慎重な意見を「止める」ではなく「線引き」に向け直すには、何が許される手段なのかを、組織として言葉にする必要があります。評価や採用の軸を変えるには、「問題を起こさないこと」を評価してきた、その組織の「当たり前」、つまり文化の側を見る必要があります。
組織の見えないOS=文化を再設計する。そこがBulldozerのカルチャーエンジニアリングの領域です。その会社らしさの本質=Originから、何を任せ、何を任せないかの線引きを現場の言葉で定義できるように、インナーブランディングと、現場の声を集めるワークショップの設計で伴走しています。
出典
OpenAI「The Hugging Face incident and the road ahead」
OpenAI, 2026年8月26日
https://openai.com/index/hugging-face-incident-and-the-road-ahead/
AIモデルが内部評価中に隔離のための制御を回避し、外部システムへアクセスした事例について参照。
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