イノベーションを起こしたい。そう考えて、アイデア創出の研修を取り入れている企業は少なくありません。デザイン思考、アート思考、ワークショップ形式の合宿。参加者から多くのアイデアが出て、研修後のアンケートでも「視野が広がった」「新しい考え方を学べた」といった声が集まります。
ところが、半年後、一年後に振り返ってみると、実際に事業として立ち上がったものはほとんどない。そんな状況に心当たりはないでしょうか。
では、なぜ研修では多くのアイデアが生まれるのに、その先へ進まないのでしょうか。参加者の発想力が足りないからでしょうか。それとも、研修の方法が間違っているのでしょうか。
私自身、創業当初、新規事業開発を支援するなかで、この課題に何度も直面しました。当時、独自のアート思考のワークショップを持って、大企業の新規事業開発の現場に入っていました。そこで何度も耳にしたのが、「全然すごいアイデアが出てこない」という言葉でした。
当時のクライアントにとって、アート思考は、自分の中からこれまでにないアイデアを引き出してくれる、いわば「錬金術」のように期待されていたのだと思います。そして当時の私自身も、手法をもっと磨けば、その期待に応えられるのではないかと考えていました。
なぜ、研修を重ねても新規事業が生まれないのか
問いの設計を変え、ワークの順番を変え、時間配分を変える。それでも、結果は変わりませんでした。同じ思考法を使っても、そこから発想を広げられる人もいれば、なかなか広がらない人もいる。この違いは、ワークショップ当日の設計だけでは説明できませんでした。
さらに見過ごせないのは、失われるものが研修の予算や時間だけではないことです。何度研修に参加しても、その先で何も実現しなければ、「アイデアを出しても、結局何も変わらない」と感じる人が出てきます。それが繰り返されれば、次の機会に手を挙げる人も少なくなっていきます。
研修を実施することと、新しい事業が生まれることの間には、思っている以上に大きな隔たりがあります。 その隔たりを埋めないまま研修だけを繰り返しても、イノベーションにつながるとは限りません。
では、その隔たりには何があるのでしょうか。
思考法だけでは、アイデアが生まれない理由
当時の私は、手法をもっと磨けば解決できると考えていました。問いの設計を変え、ワークの順番を変え、時間配分を見直す。それでも、結果には違いが出続けました。
ワークショップを重ねるなかで見えてきたのは、発想を広げられる人は、その数時間だけで突然何かを思いついているわけではない、ということでした。普段からさまざまな情報や経験に触れ、自分なりに考えてきたことがある。その蓄積がワークショップの中で結びつき、一見関係のなかった点と点がつながって、新しい発想になっていました。
思考法は、点と点をつなぐきっかけにはなります。しかし、つなぐための「点」そのものを、その場でゼロから生み出してくれるわけではありません。
この日々の蓄積を、ここでは「種」と呼びます。そして、デザイン思考やアート思考などの思考法を、種の発芽を促す「水」と考えてみます。

思考法という水をどれだけ丁寧に与えても、発想のもとになる種がなければ、芽を出すことは難しい。 逆に、日々の仕事や学びのなかで種が蓄積されていれば、思考法をきっかけに、それまで別々だった知識や経験がつながる可能性が高まります。
この見方をすると、単発の研修だけでは十分ではない理由も見えてきます。ワークショップ当日にできるのは、いわば水を与えることです。一方、その水を受け取る種は、研修までの半年、一年、あるいはそれ以上の日々のなかで少しずつ蓄積されていきます。当日の設計をどれだけ磨いても、それ以前の時間の使い方まで、その場で取り戻すことはできません。
アイデアの「種」は、日々のインプットから生まれる
ここでいう「種」は、個人の才能やセンスを指しているわけではありません。誰かには種があり、誰かにはない、と人を評価したいわけでもありません。種とは、普段どれだけ自分の仕事の外にある情報や考え方に触れ、それについて考える時間を持てているか。その積み重ねです。
そう考えると、研修の前に確認すべきことも変わります。「どの思考法を導入するか」だけではなく、参加する人たちが日常的に情報に触れ、考えを深める時間を持てているか。日々の予定が目の前の業務だけで埋まっている状態で、研修の日だけ「新しいアイデアを出してください」と求めても、簡単ではありません。
「種」を増やせるかどうかは、個人の努力だけではなく、組織がどのような時間の使い方を認めているかにも左右されます。 学ぶ時間や探索する時間を業務の一部として持てるのか、それとも個人の余暇に委ねるのか。これは、組織として考える必要のあるテーマです。
ただし、種が増えれば、それだけで新規事業が生まれるわけでもありません。どれだけ可能性のあるアイデアが生まれても、それを試す時間がない。小さく動こうとするたびに多くの承認が必要になる。失敗を避けることが優先され、最初の一歩を踏み出せない。そうした環境では、せっかく生まれたアイデアも育っていきません。
次に考えたいのは、「どうすればとびぬけたアイデアが出るか」ではなく、「生まれたアイデアを、どうすれば前に進められるか」という問題です。
「とびぬけたアイデア」より、小さく試せる環境をつくる
ここまで、アイデアが生まれるためには、思考法という「水」だけでなく、日々の蓄積である「種」が必要だと書いてきました。しかし、種があれば、それだけで芽が出て育っていくわけではありません。種が芽を出し、育っていくためには、それを試せる時間や余白、周囲との関係性といった「土壌」も必要です。
私自身、創業当初は「どうすれば、もっと良いアイデアが出るのか」を考え続けていました。しかし、さまざまな新規事業開発の現場を見るなかで、次第に別のことが気になるようになりました。どれだけ可能性のあるアイデアが出ても、稟議や承認の途中で止まってしまえば、何も起こりません。一方、最初は粗削りなアイデアでも、小さく試し、結果を見て修正する機会があれば、少しずつ形になっていきます。
「とびぬけたアイデア」を最初から求めること以上に、すでにある種が芽を出せるように、小さく試し、前に進められる土壌をつくることが重要なのではないか。 これが、新規事業開発の支援を続けるなかで、私自身の考えが変わった点です。
事例:3Mは「探索できる時間」を組織の中につくった
この「試せる環境」を考えるうえで参考になるのが、Post-it® Noteなどで知られる米国発のグローバル企業、3Mの取り組みです。その一つが「15% Culture」です。
3Mでは70年以上にわたり、社員が勤務時間の15%を、自ら関心を持ったアイデアの追求や育成に使うことを奨励してきました。新しい技術を試したり、新しいアイデアについて仲間を集めたり、業務プロセスの改善を考えたりと、その使い方は一つに限定されていません。
そして、私たちの生活にも身近なPost-it® Noteも、この15% Cultureから生まれた製品の一つとして3M自身が紹介しています。
ここで注目したいのは、「3Mだから画期的なアイデアを生み出せた」ということではありません。会社が社員にアイデアを求めるだけでなく、自らの関心や着想を追究するための「時間」を、組織の側が用意していることです。
新しいものを生み出してほしいと期待しながら、日々の業務は既存の仕事だけで埋まっている。その状態では、新しいことを考えたり、試したりする時間は、社員一人ひとりが業務外で捻出することになります。3Mの15% Cultureは、イノベーションに必要な探索を個人任せにせず、仕事の時間の中に置くという一つの考え方を示しています。
もちろん、すべての企業が「勤務時間の15%」という仕組みをそのまま導入すべきだ、という話ではありません。重要なのは、自社にとってどのような形であれば、社員が新しい可能性を探索し、小さく試せる余白をつくれるのかを考えることです。
【参考資料】
3M「Life with 3M」
15% Cultureと70年以上にわたる取り組みについて
https://www.3m.com/3M/en_US/careers-us/working-at-3m/life-with-3m/
3M「What do 3Mers value?」
15% CultureとPost-it® Noteとの関係について
https://www.3m.com/3M/en_US/careers-us/stay-connected/insights-for-candidates/full-story/?storyid=9e23eb7e-cceb-4285-86b0-f3a2f28650f9
変わり続ける会社では、現場から小さな挑戦が生まれている
その後、さまざまな会社を見てきて、変化し続けている組織には一つの共通点があると感じるようになりました。経営が新しいことを呼びかけているだけではなく、現場の社員が自分で考え、小さな改善や挑戦を始められていることです。
そして、その状態は、一度の研修によって突然つくられるものではありません。日々のコミュニケーションそのものが、人の動き方を少しずつ形づくっています。たとえば、社員から新しい提案が出たときに「まず小さく試してみよう」と返す組織と、最初の段階から多くの説明や承認を求める組織とでは、その後に生まれる行動も変わってきます。

小さく試してみる。そこから結果や学びが得られる。それを見た別の人が、また新しいことを試してみる。こうした経験が積み重なることで、「自分たちで物事を少しずつ変えていける」という感覚が、組織のなかに育っていきます。
反対に、新しいことを試すたびに多くの説明や承認が必要であれば、「やってみたい」と思っても、実際に行動へ移すまでの負担は大きくなります。挑戦する回数が減れば、そこから得られる成功例や失敗からの学びも蓄積されません。その結果、次に何かを始めようとする人にとっても、動き出すハードルが高くなっていきます。
イノベーションを生み出せるかどうかは、個人の発想力だけでなく、「思いついたことを試せるか」という組織の環境にも大きく左右されます。
研修で新しい思考法を学ぶことには、もちろん意味があります。ただ、それだけで終わらせず、日常のなかで種を増やす時間があるか。そして、生まれた芽を小さく試し、育てられる土壌があるか。そこまでを一つの流れとして考える必要があります。
イノベーションを「アイデアの問題」だけにしていないか
では、自社には「種」が育ち、芽を試せる土壌があるでしょうか。新規事業がなかなか生まれないとき、「もっと良いアイデアが必要だ」「社員の発想力を高めなければ」と考えるのは自然なことです。しかし、アイデアそのものに目を向ける前に、そのアイデアがどこで止まっているのかを確認してみると、別の課題が見えてくることがあります。
まずは、次の4つの問いをチームで確認してみてください。
- 参加者が普段から、新しい情報や考え方に触れる時間を持てているか
- 生まれたアイデアを、小さく試すための時間や予算があるか
- 企画が止まるとき、アイデアの質が理由なのか、それとも承認のプロセスが理由なのか
- 過去に新しいことへ手を挙げた人が、その後も挑戦を続けられているか
一つでも気になる項目があれば、次に必要なのは新しい研修を増やすことではないかもしれません。情報に触れる時間が足りないのであれば、探索や学習の時間を業務のなかにどう確保するかを考える。小さく試すことが難しいのであれば、どの程度の予算や範囲まで現場で判断できるのかを確認する。承認の途中で止まることが多いのであれば、過去の企画をいくつか振り返り、どの段階で、なぜ止まったのかを見てみる。課題によって、最初に手をつける場所は変わります。
大切なのは、「もっと良いアイデアを出すにはどうするか」と考える前に、いまあるアイデアがどこで止まっているのかを見ることです。 研修を増やすべきなのか、日々のインプットを増やすべきなのか、それとも試せる時間や意思決定の仕組みを見直すべきなのか。現在地がわかれば、打ち手も変わってきます。
研修の日だけではなく、日常からイノベーションが生まれる組織へ
ここまで、日々の情報や経験の蓄積を「種」、思考法を「水」、そして生まれたアイデアを試し、育てられる組織環境を「土壌」として考えてきました。
種がなければ、水だけを与えても芽は出にくい。一方で、種と水があっても、芽を育てられる土壌がなければ、その先には進めません。だからこそ、イノベーションを研修という一つの施策だけで考えるのではなく、日々の時間の使い方やコミュニケーション、意思決定のあり方まで含めて捉える必要があります。
目指したいのは、年に一度の研修の日だけ、社員が新しいアイデアを考える組織ではありません。普段からさまざまな情報に触れ、「これを試してみたい」という着想が生まれたときに、小さく動いてみることができる。そこから得た結果や学びが共有され、それを見た別の人からも次の挑戦が生まれる。そうした循環が、日常のなかにある組織です。
イノベーションを生み出すために必要なのは、アイデアを出させることだけではなく、種が育ち、芽が出たときに、その芽を育てていける土壌をつくることです。
これは、「社員にもっと挑戦してもらう」という一方向の話でもありません。新しいことを考える時間があるか、小さく試せる余白があるか、提案が出たときに周囲がどう応答するか。人の行動は、そうした日々の環境から少しずつつくられていきます。
次のイノベーション研修を検討する前に、一度、自社の「種・水・土壌」のどこに課題があるのかを確認してみてください。すでに社内にあるアイデアや問題意識が動き出せていないとしたら、足りないのは新しい思考法ではなく、それを育てる環境かもしれません。
研修でアイデアを生み出す会社から、日常のなかで挑戦が生まれ、育っていく会社へ。そのために整えるべき「土壌」は何か。そこから考えることが、イノベーションへの次の一歩になります。
もっと考えたい方へ
新規事業を進めるなかで、経営と現場の認識が噛み合わなくなる構造については、「『新規事業』が噛み合わない本当の理由 ─ボトムアップとトップダウンは、別の生き物だ」で詳しく解説しています。
また、個人の発想や行動だけではなく、それを支える組織文化そのものをどう捉えるかについては、「価値を生み出し続ける組織は、どうすればつくれるのか ─Culture Engineeringという新しい組織づくりにたどり着くまで」もあわせてご覧ください。
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