「他社の事例はありますか」。DXでも新規事業でも、提案の場でよくいただく質問です。判断材料として他社の取り組みを知りたいというのは、自然な反応だと思います。
一方で、他社事例を集め、社内で共有したものの、「うちとは規模が違う」「業界が違うから、そのままは難しい」と言われ、資料だけが残った経験はないでしょうか。事例を集めること自体は、決して悪いことではありません。それでも、集めた事例が自社でそのまま再現されることは多くありません。
では、この落差はどこから生まれるのでしょうか。
この記事では、その理由を事例の「距離」という切り口から考えます。ポイントは、成功している事例を探すことだけではありません。自社との距離が近く、「自分たちにもできるかもしれない」と思える事例をどう見つけるか。 そのための考え方と、事例を実際の行動につなげる方法まで整理します。
1. 事例を集めるほど、変革が「勉強」で終わっていく
DXでも、AI活用でも、新しい制度でも、何かを変えようとするときは、まず情報収集から始めることが多いものです。他社の取り組みを調べ、セミナーに参加し、参考になりそうな事例を資料にまとめる。「先進事例集」のような資料が社内で共有されることも珍しくありません。
もちろん、この工程そのものは必要です。何も知らずに走り出すより、他社の経験から学び、選択肢を増やした方がよい。ただ、問題はその先にあります。事例を「集めること」が、いつの間にか仕事のゴールになってしまうことがあります。
事例を集めるという行為は、それ自体が成果物になりやすい仕事です。資料ができる。報告ができる。会議で共有できる。つまり、情報を集めた時点で、一つの仕事を完了したように見えてしまいます。
すると、次のテーマでも同じことが起こります。また他社事例を調べ、資料をつくり、共有する。熱心な組織ほど情報収集の精度は高まっていきますが、それだけでは、集める力と変わる力が同じように高まるとは限りません。
事例収集の目的は、「知ること」ではなく、自社の次の行動を変えることにあります。
では、なぜ多くの事例は、行動につながらないまま資料の中に残ってしまうのでしょうか。
2. 他社の成功事例を、そのまま自社で再現できない理由
事例が自社で再現できないとき、「あの会社だからできた」と考えることがあります。優秀な人材がいた。経営者の意思決定が速かった。資金に余裕があった。もちろん、実際にそうした条件の違いはあります。
ただ、その手前にもう一つ、構造的な理由があります。この構造は、パソコンの「OS」と「アプリケーション」にたとえると理解しやすくなります。
私たちが日常的に使っているのは、さまざまなアプリケーションです。しかし、そのアプリケーションが動く土台にはOSがあります。会社に置き換えると、DX施策や人事制度の改定、新しく立ち上げるプロジェクトなどは、いわば「アプリケーション」にあたります。
一方、その下には、その会社ならではの前提があります。「うちでは、こうやって物事を決める」「この話は、まずこの部署に通す」「失敗したときは、こう扱われる」「現場から上に、どこまで意見を言える」。ここでは、こうした制度やツールのさらに下にある、日常の意思決定や行動を左右する前提を「組織OS」と呼びます。
他社事例として紹介されるのは、多くの場合、アプリケーションにあたる部分です。何を導入したのか。どんな体制を組んだのか。どのような手順で進めたのか。一方、その施策を動かしていた組織OS、つまり意思決定の速さや、失敗の扱われ方、現場と経営の関係まで、同じ解像度で紹介されるとは限りません。
他社の「アプリケーション」だけを持ち帰り、自社の異なる「組織OS」の上で動かそうとすれば、同じ結果にならないのは不思議ではありません。

これは、他社事例が役に立たないという意味ではありません。見るべきなのは、表面に現れている施策だけではないということです。その施策が成立した背景には、どのような意思決定や前提条件があったのか。そこまで見て初めて、自社で再現できるかどうかを考えられます。
3. 「うちとは規模が違う」で終わる事例は、行動につながらない
他社事例を共有した会議で、「うちとは規模が違うから」「業界が違うから、そのままは難しい」という反応が出ることがあります。
ここで重要なのは、この反応そのものが間違っているわけではないことです。実際に規模も業界も違えば、同じ方法をそのまま導入できないことは当然あります。むしろ、自社との条件の違いを確認することは必要です。
問題は、その一言で検討が終わってしまうことです。
規模も違う。業界も違う。だから自社には適用できない。そう結論づければ、手続きとしてはきれいに終わります。情報を集め、検討し、自社には合わないと判断した。誰かが明確に間違ったことをしたわけでもありません。
しかし、その過程で失われるものがあります。事例を集めた時間、共有した会議の時間。そして何より、「自分たちにもできるかもしれない」と考える機会です。
遠い事例ほど、「自社とは条件が違う」という正しい理由で却下しやすくなります。
もちろん、すべての事例を自社に適用する必要はありません。ただ、本当に使えないのかを吟味する前に、事例との距離が遠いという理由だけで選択肢から落ちているケースはないでしょうか。
では反対に、人が「自分たちもやってみよう」と動き始めるのは、どのような事例に触れたときなのでしょうか。
4. 効くのは、言い訳ができない「近さ」の事例
人を実際の行動へ動かすのは、どのような事例なのでしょうか。
一つの鍵になるのが、自社との「近さ」です。有名企業による大規模な変革ではなく、自社と同じくらいの規模で、似たような制約を抱えている会社が、実際に変革を進めている。そのような事例です。
なぜ、近い事例ほど行動につながりやすいのでしょうか。それは、「あの会社だからできた」と切り離しにくくなるからです。規模も大きく違わない。置かれている環境も極端には違わない。それでも、その会社は実際に動いている。そうなると、「自社ではできない理由」ではなく、「自社でやるならどうするか」に目が向きやすくなります。
事例の価値は、成功の大きさだけで決まるものではありません。「自分たちにもできるかもしれない」と思える距離にあるかどうかも、重要な判断軸です。

遠い事例を見たときには、「すごいですね。ただ、うちでは難しそうです」となりやすい。一方、自社に近い事例であれば、「あの会社ができたなら、自分たちにもできるのではないか」と、次の行動を考えるきっかけになります。
私自身、この「近さ」の意味を、身近な子どもたちを見ていて考えたことがあります。いろいろな年齢の子どもと過ごす機会があるのですが、年齢の近い子が歩き始めると、それを見ていた小さな子も、後を追うように歩こうとすることがあります。
大人が歩いている姿は、その子にとって必ずしも身近なモデルではないのかもしれません。ところが、少しだけ年齢の上の子が歩いていると、急に「自分にもできるかもしれない」と感じているように見えることがあります。
もちろん、これは私の身の回りで見た出来事であり、この観察だけから一般的な因果関係を示せるものではありません。ただ、組織で事例に触れたときに起きる反応を考えるうえで、一つの示唆があるように感じています。
人が動き始めるきっかけは、「正しい方法を知ったこと」だけではなく、「自分たちにもできそうだ」と感じられることにあるのではないでしょうか。
では、自社にとって「近い事例」は、どのように見分ければよいのでしょうか。
5. 自社で使える事例か?「4つの距離」でチェックする
ここでいう「近さ」は、物理的な距離を意味するものではありません。元の事例と自社との間にある条件の違いを見るための考え方です。
他社事例を見るときは、施策そのものだけではなく、少なくとも次の4つの観点から自社との距離を確認します。
- 規模:組織や事業の規模は、自社とどの程度近いか
- 業界の構造:顧客や商流など、事業を取り巻く構造はどの程度近いか
- 抱えている制約:人材、予算、既存の仕組みなど、変革を進めるうえでの条件はどの程度近いか
- 意思決定の重さ:意思決定に関わる人数やプロセスなど、物事を動かす難しさはどの程度近いか
大切なのは、4つすべてが完全に一致する事例を探すことではありません。そのような会社を探し続ければ、今度は「自社とまったく同じ事例が見つかるまで動けない」という状態になってしまいます。
見るべきなのは、「この事例は、どこが自社と近く、どこが遠いのか」を分解することです。
たとえばDXの事例であれば、「どのツールを導入したか」だけを見るのではなく、その会社の規模や業界構造、どのような制約の中で進めたのか、意思決定にどれくらいの重さがあったのかまで確認します。表面に見える施策が同じでも、その下にある条件が大きく違えば、同じ進め方が自社でも機能するとは限りません。
反対に、業界が違っていても、組織規模や抱えている制約、意思決定の構造が自社と近ければ、参考にできる部分が見つかる可能性があります。「業界が違うから使えない」と一括りにするのではなく、何が違い、何が近いのかを分けて考えることが重要です。
他社事例を見つけたら、すぐに「使える/使えない」を判断するのではなく、まず4つの距離を確認する。そのうえで、「この会社だからできたこと」と「自社でも再現できそうなこと」を切り分ける。 これだけでも、事例収集は単なる情報収集から、自社の次の行動を考えるための材料へと変わります。
ただし、「自分たちにもできるかもしれない」と感じるだけでは、まだ変革にはつながりません。次に必要なのは、その気づきを実際の行動へ移すための仕組みです。
6. 事例を「見て終わり」にしないための3つの仕組み
近い事例に触れて「自分たちにもできるかもしれない」と感じても、その感覚が自然に続くとは限りません。視察や研修の直後には新しいことを試したいと思っていても、日常業務に戻れば、目の前の仕事が優先されていきます。
だからこそ、「いけるかも」という感覚を個人の意志だけで維持しようとするのではなく、行動につながりやすい環境をつくっておくことが重要です。
そのために、まずチーム単位で始められることが3つあります。
- 事例に触れる時間を、あらかじめ予定に入れる
- 自社と近い会社に、継続的に触れられる場所をつくる
- 持ち帰った気づきを、次の会議の議題にする
一つ目は、時間の使い方です。他社の取り組みを調べたり、実際に話を聞きに行ったりする時間が予定に入っていなければ、その活動は「余裕があるときにやること」になりがちです。日常業務とは別の活動として扱うのではなく、あらかじめ時間を確保しておくことで、継続的に事例へ触れる機会をつくります。
二つ目は、場所や接点のつくり方です。自社と近い事例に出会えるかどうかは、どのような企業や人と継続的に接点を持っているかにも左右されます。同じ業界の集まり、規模の近い会社が集まる場、外部の人と交流できる環境など、自社の外にある実践に触れられる場所を持つことが一つの方法です。
三つ目は、持ち帰った後の受け皿です。せっかく参考になる事例に出会っても、「共有します」で終われば、そこで得た気づきは個人の中だけに残ります。次の会議で「自社なら何ができるか」を話すところまで予定に組み込むことで、情報を行動へ移すきっかけをつくれます。
事例を活用するために必要なのは、情報を増やし続けることだけではありません。「見る→持ち帰る→自社で試す」という流れが起きる環境を、先につくっておくことです。
こうした環境づくりは、先ほど触れた「組織OS」ともつながっています。新しい施策を知っている人が増えるだけではなく、その知識を試せる時間があること、外部から学べる接点があること、持ち帰った提案を話せる場があること。こうした日常の条件まで整って初めて、事例は組織の行動に結びついていきます。
7. いちばん強い事例は、自社の中につくる
ここまで、他社事例をどう選び、どう行動につなげるかを考えてきました。
他社事例を見るときは、成功の大きさだけではなく、自社との「距離」を見る。規模、業界の構造、抱えている制約、意思決定の重さを確認し、何が近く、何が違うのかを分解する。そして、参考になる事例に出会ったら、時間や場所、会議の仕組みを使って、実際の行動につなげていく。
その先にあるのは、他社の成功をそのまま再現することではありません。
最終的に、いちばん自社との距離が近い事例は、自社の中で生まれた事例です。
小さくても、自分たちで試して「実際に動いた」という事実をつくる。同じ会社、同じ制度、同じ制約の中で誰かが実現した事例であれば、「あの会社だからできた」「業界が違う」と切り離すことはできません。
DXでも、新しい制度でも、AIの導入でも、他社の正解をそのまま持ち帰ることがゴールではないはずです。他社事例から、自社でも試せる部分を見つける。そして、小さく実行してみる。その結果を次の人が参照できる事例にしていく。
この循環が生まれれば、事例収集の意味も変わります。
「他社は何をしているのか」を知るためだけの活動から、「自分たちは次に何を試すのか」を考えるための活動になる。そして、自社の中に小さな成功事例が増えていけば、次に動く人にとっての「近い事例」も増えていきます。
他社事例の価値は、正解を教えてくれることではなく、「自分たちにもできるかもしれない」という最初の一歩をつくることにあります。
あなたの会社で最後に共有された事例は、「すごい会社の成功例」だったでしょうか。それとも、「自分たちでも試せそうだ」と思える距離にあったでしょうか。
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この記事のテーマについて、Podcast「天上天下主客反転、ブルドーザーの企業解体新書!」EP38でも議論しています。
変革施策を進めても、なぜ会社の体質は変わらないのか。「組織OS」と「アプリケーション」という切り口から、事例収集、環境設計、「いけるかも」という感覚まで掘り下げました。
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