研修を増やした。新しいツールも導入した。AIも使えるようにした。
それでも、現場の仕事の進め方がなかなか変わらない。そんな経験はないでしょうか。
eラーニングやツールの操作研修、資格取得支援、外部セミナーなど、学ぶ機会そのものは増えています。それにもかかわらず、研修を終えてしばらくすると、仕事の進め方は以前と変わらない。もしそうした状態が続いているなら、足りないのは「学ぶ機会」ではないのかもしれません。
必要なのは、知識を仕事に変えるための「手前」の力です。
先日のPodcastの収録で、共同ホストと二人、示し合わせたわけでもないのに同じ話を持ち寄ったことがありました。私が用意していたテーマは「DXがうまくいかないのは、DXの手前にあるものが足りていないから」。相手が話したかったのは「AIを使いこなせる人とそうでない人の差は、どこにあるのか」。入口はまるで違うのに、たどり着いた場所が同じでした。
そこで何度も出てきたのが、「手前」という言葉です。ツールの手前、問いの手前、目的の手前。組織が止まっているのは、たいてい導入の現場ではなく、その手前なのではないでしょうか。
この記事では、リスキリングの設計をどこから始めるかを、その「手前」から整理していきます。研修やツールを増やすこと自体を否定するのではなく、それらが現場で機能するために、その前段で何を整えておく必要があるのかを考えていきます。
研修を増やしても、なぜ現場の手順が変わらないのか
多くの会社で、リスキリングの打ち手は増えています。eラーニング、ツールの操作研修、資格支援、外部セミナー。学ぶ機会そのものは、以前と比べて整ってきました。
それでも、業務のやり方は前のまま、というケースがあります。受講率が高く、アンケートの評価も悪くない。それなのに、翌週の仕事は何も変わらない。この状態を「現場の意欲が足りない」と捉えてしまうと、次の打ち手はどうしても精神論に寄っていきます。
ただ、同じ研修を受けて動ける人もいるのだとしたら、差を生んでいるのは意欲ではなく、別のところにあるのではないでしょうか。学ぶ機会を増やすことと、その機会を使える状態にすることは、別のことです。
ここで考えたいのが、「学んだことを、どのように仕事へつなげるのか」という問題です。新しい知識を得ても、それを使って何を変えるのか、どこから手をつけるのか、誰を巻き込むのかが見えていなければ、知識はそのままでは業務になりません。
リスキリングを「新しい知識やスキルを身につけること」だけで終わらせず、「身につけたものを使って、仕事をどう組み立て直すか」まで考える必要があります。そのとき重要になるのが、この記事で扱う「段取り」です。
AIを配ったあとのほうが、人の差は大きくなる
AIが入ると、この構図はもっとはっきりします。AIは、その人が持っている知識や判断力を増幅する場面が多い道具です。裏を返せば、どんな仕事を頼むのか、どこに使うのか、出てきた結果をどう判断するのかによって、同じAIを使っても成果には差が生まれます。
たとえば、5、6年目の方がAIを使いこなしたとします。そこで起きるのは、これまで時間をかけていた仕事が、大幅に短い時間で終わるという変化です。20年目の方が同じAIを使えば、同じように仕事の処理速度は上がるでしょう。
しかし、AIそのものが生み出す差よりも、「何をAIに任せるのか」「出てきたものをどう使うのか」という、もともとの仕事の土台によって差が残るのではないでしょうか。
その土台には、深さと幅という2つの方向があります。よく言われるT字型の、縦棒と横棒です。

見落とされやすいのは、横棒のほうかもしれません。マーケティングも、法務も、ITも、会計も、ものづくりの流れも、専門家ほどではないけれど勘どころはわかる。この幅があると、AIに頼める仕事の範囲がそのまま広がります。
反対に、ひとつの専門だけを深く掘ってきた場合、AIに投げる先が自分の専門の内側にとどまりがちです。もちろん、専門性の深さそのものが問題なのではありません。深さと幅は、それぞれ別のものとして積み上げていく必要があるということです。
念のため補足すると、これは年齢や社歴の話ではありません。長く特定の専門領域だけを担当したあと、事業開発に近い役割へ移って苦労される方もいます。契約、法律、営業、投資判断の経済性といった感覚に触れてこなかったことが、そのままAIの使いこなしの難しさとして表れてくることもあります。
逆に、小さな会社で何でも自分でやってきた方のほうが、全体の回し方を早くつかんでいることも珍しくありません。どちらが優れているという意味ではなく、専門性の深さとは別に、仕事全体を見渡す幅をどう持つかが、これからますます重要になるということです。
「何のためのDXか」は、4回さかのぼると出てくる
では、仕事の土台にある「幅」とは、具体的に何を指すのでしょうか。ひとつは、目的と手段を行き来する力だと考えています。
DXは目的ではなく、手段です。これは多くの方が頭では理解しているところでしょう。ただ、実務では、手段がいつの間にか目的の位置に座ってしまうことがあります。「DXを推進する」「新しいツールを導入する」といった施策そのものがゴールになり、導入したところで報告が終わってしまうケースです。
そこで、施策を考えるときには、まず「何のために?」から始めてみます。DXは何のために行うのか。業務を効率化するためだとしたら、その業務効率化は何のためなのか。付加価値を高めるため、あるいはコストを削減するためだとしたら、その先には何があるのか。
目的を一段ずつさかのぼっていくと、最初に見えていた「ツール」から少しずつ離れていきます。DXは手段で、その目的は業務効率化。その業務効率化は、付加価値の向上やコスト削減につながる。さらにその先には、会社が中長期の打ち手に投資できる余力をつくる、という目的があるかもしれません。

こうして「なぜ?」を何度かさかのぼっていくと、目の前の施策と経営の目的がつながってきます。逆に、手段だけを見ていると、「何のためにやっているのか」という問いに答えにくくなります。
良い問いを立てる前に、そもそも「何のために考えるのか」が決まっていなければ、問いそのものをつくることが難しい。
AI活用について考えるときにも、この順番は変わりません。AIに「何を聞けばいいか」を考える前に、自分たちは何を実現したいのか、そのために何を判断する必要があるのかを考える必要があります。
ツールの操作を覚えることは、この連鎖のいちばん手前を厚くする行為です。そこだけを鍛えても、真ん中から先が空白のままだと、現場は「何のためにやっているのか」を自分の言葉で説明しにくくなります。説明できない施策は、忙しくなった瞬間に後回しにされてしまいます。
だからこそ、リスキリングでも「何を学ぶか」だけではなく、「その学びを何のために使うのか」から考えることが重要になります。
行ったことのない土地への旅行計画を、立てられるかどう
では、なぜ目的の連鎖を自分で組み立てられないのでしょうか。ひとつの手がかりになるのが、「行ったことのない土地への旅行計画」です。
行ったことのない土地に行くなら、まず目的地を決める必要があります。そこから、交通手段、宿泊先、現地での移動、必要な予約などを考え、限られた時間のなかで何をどの順番で押さえるかを決めていく。もし希望していた交通機関が取れなければ、別のルートを探し、場合によっては予定そのものを組み替えます。
一見すると、旅行計画とDXやAIには何の関係もないように思えます。しかし、ここにはプロジェクトを進めるうえで必要な力が詰まっています。
定常業務とプロジェクトでは、必要になる力が違います。定常業務では、ある程度決まった手順を正確に回すことが求められます。一方、プロジェクトでは、まだ形のないゴールに向かって、何をどの順番で集め、誰をどの時系列で動かすかを自分で設計しなければなりません。
宿と交通と現地の移動を、どの順で押さえるのか。予定どおりに進まなかったとき、どこを崩して間に合わせるのか。誰に相談し、どこまで自分で判断するのか。
こうした組み立てを、ここでは「段取り」と呼ぶことにします。
段取りとは、決められた手順を覚えることではなく、目的に向かって「次に何をするか」を自分で組み立てる力です。
この力は、テキストからそのまま移しにくい種類のものかもしれません。知識を増やすことで土台をつくることはできますが、実際に計画を立て、関係者を動かし、予定どおりにいかなかったときに判断する経験は、実践のなかでしか得にくいからです。
リスキリングが空回りするのは、段取りが必要な場所に、知識だけを流し込んでいるからではないでしょうか。
自社の推進チームを思い浮かべたときに、思い当たる人はいないでしょうか。優秀で、知識もあり、研修も受けている。それでも計画がなかなか形にならないとしたら、足りていないのは意欲でも知識でもなく、「知っていることを使って、まだ形のない仕事を組み立てる経験」なのかもしれません。
ここまで考えると、「リスキリング=新しい知識やスキルを身につけること」という捉え方だけでは、少し足りないことが見えてきます。
必要なのは、知識を増やすことと同時に、その知識を使って目的から逆算し、自分で仕事を組み立てる経験を渡すことです。
そして、そのために明日からできることは、必ずしも大がかりな研修を新設することではありません。
次のパートでは、現場に実際に渡せるものとして、「網羅」と「立候補」という2つの方法を取り上げます。
明日から渡せるのは、「網羅」と「立候補」の2つ
では、現場に何を渡せばいいのでしょうか。段取り力は、知識を増やすだけでも、研修を受けるだけでも身につきにくいものです。そこで、まず取り組みやすい方法として考えたいのが、「網羅」と「立候補」という2つです。
ひとつ目は、経営や事業に関わる領域を、専門家になることを目的とせず、一度広く学んでみることです。財務、法務、IT、経済、経営理論、マーケティングなど、事業を動かすうえで必要になる領域をひととおり眺める。細かな知識をすべて覚える必要はありません。まず「自分の専門の外側に、どんな領域があるのか」という概念の地図を持つことが重要です。
たとえば、中小企業診断士のテキストのように、経営に関わる領域を幅広く扱っている教材を使う方法があります。資格取得を目的にする必要はありません。財務なら何を見るのか、マーケティングでは何を考えるのか、ITにはどのような論点があるのか。そうした全体像を何度か繰り返し眺めることで、専門外の領域についても「何か重要な論点がありそうだ」と気づけるようになります。
これは、知識を増やすことそのものが目的ではありません。概念の地図があると、自分の専門外にある問題を見つけたり、AIに相談したりするときの入口が増えます。 何も知らなければ、そもそも何を調べればいいのか、誰に聞けばいいのかもわかりません。一方で、専門家ほど詳しくなくても、その領域にどんな論点があるかを知っていれば、次の一手を考えやすくなります。
ふたつ目は、実際のプロジェクトに手を挙げることです。ここでいう「立候補」は、大きな変革プロジェクトの責任者になるという意味ではありません。社内の小さなプロジェクトでもいいので、自分から推進役を引き受け、実際に段取りを組んでみることです。
プロジェクトでは、最初に立てた計画どおりに進むことのほうが少ないでしょう。関係者の予定が合わない、必要な情報が集まらない、想定していた方法が使えない。そうした状況に直面するたびに、何を優先し、どこを変え、誰に相談するかを判断することになります。
だからこそ、段取り力は実践のなかで鍛えられます。規模は小さくても構いません。関係者がいて、締切があり、途中で計画を変える必要がある仕事なら、それ自体が段取りを練習する場になります。
そして、もうひとつ重要なのが、迷ったときに聞ける相手を用意しておくことです。社内の仲間でも、信頼できる社外の専門家でも構いません。自分だけで正解を出そうとするのではなく、考えたうえで相談し、フィードバックを受ける。その経験を積み重ねることで、次に同じ種類の判断をするときに、自分なりの当たりをつけられるようになっていきます。
「網羅」と「立候補」は、一見すると地味な方法です。しかし、ひとつは自分の専門の外側に地図を広げ、もうひとつは、その地図を使って実際に動いてみる。知識の幅と実践の経験を同時に増やすことで、「知っている」から「使って組み立てられる」へ移っていくことができます。
リスキリングは「ツールを教える」から「段取りを渡す」へ
ここまでの話を、リスキリングの設計としてもう一度考えてみます。
ツールの使い方を教える。新しい知識を身につけてもらう。どちらも大切です。ただ、そこだけでリスキリングを設計していると、見落としてしまうものがあります。それが、学んだ知識を使って、自分で仕事を組み立てる経験です。
一度、自社の状況を思い浮かべてみてください。リスキリングの内容が、ツールの操作方法に偏っていないでしょうか。推進メンバーは、DXの「その先の目的」を自分の言葉で説明できるでしょうか。プロジェクトを最初から最後まで動かした経験のある人が、推進チームにどれくらいいるでしょうか。
AIを配ったあと、人によって使える範囲が違う理由をつかめているか。迷ったときに相談できる相手が、社内・社外の両方に用意されているか。こうした問いを一度並べてみるだけでも、自社のリスキリングが「知識を増やす設計」になっているのか、「仕事を動かせる人を増やす設計」になっているのかが見えてきます。
ひとつでも引っかかるものがあれば、次に足すべきものは新しい研修ではないかもしれません。たとえば、専門外の領域を学ぶためのテキストを会社で用意する。推進役の枠を、経験のない人にあえてひとつ任せてみる。プロジェクトの途中で相談できる相手を決めておく。大がかりな制度変更をしなくても、始められることはあります。
リスキリングで本当に増やしたいのは、「ツールを使える人」だけではなく、初めての仕事にぶつかったときに、自分で目的を捉え、段取りを組み、必要に応じて周囲を巻き込みながら前に進められる人です。
そういう人が増えていけば、DXは特別なプロジェクトではなく、普通の業務改善として進んでいくのかもしれません。新しいツールを導入するたびに「どう使わせるか」を考えるのではなく、現場の一人ひとりが「何のために使うのか」「次に何をするのか」を考えられる。AIも、人の仕事を単純に置き換えるものではなく、考えられる範囲や動かせる仕事の幅を広げるための道具として使われていく。
私たちがリスキリングで目指したいのは、知識を持つ人を増やすことだけではありません。知識を使って、まだ答えのない仕事を前に進められる人を増やすことです。
そのためには、研修を増やす前に、一度立ち止まって考えてみる必要があります。いま足りないのは、新しい知識なのか、新しいツールなのか。それとも、その知識やツールを使って、目的から逆算し、自分で仕事を組み立てる経験なのか。
リスキリングの設計を「何を教えるか」から始めるのではなく、「どんな仕事を動かせるようになってほしいのか」から考える。そこまでさかのぼることで、研修の内容も、任せる仕事も、組織として用意すべき支援も変わってくるはずです。
この記事のポイント
ここまでの内容を整理すると、リスキリングを考えるときに重要なのは、「何を学ばせるか」だけではありません。
DXやAIは、あくまで目的を実現するための手段です。まず「何のために使うのか」を考え、その目的から逆算して、必要な仕事を組み立てる。そこで必要になるのが、専門領域を越えて考えるための「幅」と、まだ形のない仕事を前に進めるための「段取り」です。
そのために、組織としてできることは大きく2つあります。ひとつは、専門外も含めて事業全体を見渡せる「概念の地図」を持ってもらうこと。もうひとつは、実際のプロジェクトに立候補してもらい、段取りを組む経験を積んでもらうことです。
研修を増やすことが目的なのではなく、学んだことを使って仕事を前に進められる状態をつくること。そこまで含めて、リスキリングを設計する必要があります。
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Podcastでも、このテーマをさらに掘り下げています
今回の記事で扱った「DXの手前にあるもの」「AIを使いこなすための土台」「優秀な若手が組織を離れるときに起きていること」などについて、Podcastでも詳しくお話ししています。
記事では整理しきれなかった論点や、より具体的なエピソードにも触れています。文章とはまた違った角度から考えてみたい方は、ぜひあわせてご覧ください。
EP37「DX|なぜ、ツールを入れる前に止まってしまうのか?」
▼YouTube
https://youtu.be/B6Cjnej3LUw
▼Spotify
https://open.spotify.com/episode/3A86KPfipqb3eK3jTeECSO
組織の「見えないOS」を再設計する
Bulldozerは、アート思考をベースに、企業や個人の「まだ言語化されていない可能性」を掘り起こし、ビジョン策定・組織変革・人材育成などを支援しています。
DXやAIの導入が進んでも、組織の動き方そのものが変わらなければ、期待した成果にはつながりません。だからこそ私たちは、組織の見えないOSともいえる「文化」に目を向け、カルチャーエンジニアリングというアプローチで、組織変革を支援しています。
日経225企業を含む多くの組織変革に伴走し、ビジョン浸透、中期経営計画策定、組織風土改革、PMI支援などに取り組んでいます。
DXやAIの導入、人材育成を進めるなかで、「なぜか現場が動かない」「研修をしても仕事の進め方が変わらない」と感じている場合は、ツールや研修内容だけではなく、その手前にある組織の仕組みや文化から見直す必要があるかもしれません。
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最後に
リスキリングについて考えるとき、つい「どんな研修を用意するか」「どのツールを使えるようにするか」という話から始めてしまいます。
しかし、本当に考えたいのは、その先です。
その人は、新しい仕事に出会ったとき、自分で目的を捉え、必要なことを考え、段取りを組んで前に進められるでしょうか。
もし答えがまだ「わからない」のであれば、足りないのは研修の数ではないかもしれません。
「何を教えるか」からではなく、「どんな仕事を動かせるようになってほしいのか」から考える。そこから逆算すれば、必要な知識も、経験も、周囲の支援も見えてきます。
リスキリングの「手前」にあるものを見直すこと。それが、学びを現場の変化につなげる最初の一歩なのだと思います。
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